最上のわざ 老いてこそ
顔にしわが増え、白髪になり腰も曲がってしまった私。
そんな自分の老人になった姿を想像できますか?
自分だけは年をとらないのではないかという、かすかな妄想はありませんか?
私はいつもそう思っていました。
なんか自分が年寄りになることはずっーと先の出来事だし、全然身近に感じない。
でもそう思っている時間は意外に早く過ぎ去るのかもしれません(゚д゚)!残念~
今日はそんな年をとるということについて少し書いてみたいと思います。
これを書こうと思ったきっかけはこの素晴らしい詩に出会ったからです。
ずっと忘れていたのですが、最近あるきっかけがありまた思い出しました。
映画「ツナグ」の中で樹木希林さんが、本編の最後に読んだ詩です。
この世での最上のわざは
年をとって、もはや何の役にも立たなくなった時
あなたの心は最後の段階のみがきをかけている
そして本当の故郷に帰っていくことになるという詩です。
この世の最上のわざは何?
楽しい心で年を取り
働きたいけれども休み
しゃべりたいけれども黙り
失望しそうなときに希望し
従順に、平静に、おのれの十字架をになう
若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見てもねたまず
人のために働くよりも謙虚に人の世話になり
弱って、もはや人のために役立たずとも
親切で柔和であること
老いの重荷は神の賜物
古びた心に、これで最後のみがきをかける
まことのふるさとに行くために
引用「人生の秋に」
ヘルマンホイヴェルス著より
これを読んだときに
こんな年の取り方ができたらいいなと思った。
年を取ることを悲観するだけではなく、その背後にあった本当の人生の意味に気づく。
惨めなことなのか?
誇らしいことなのか?
何も成さない自分であっても価値があると思えないと、年をとるのは苦しいです。
私はまだそのような境地に至らず、今の生産性のない日常に後ろめたさがありますが、本来は生産性があるとか、だれかのためになっているとかは考えなくてもいいのかもしれません。
きっと人生で起こったすべてに対して
賜ったものだと思える時が、年をとった時なのかな…
以前10年程介護の現場で働いていたことがあります。
その時にも年をとるとはどういうことかと、いろいろ考えさせられる場面に多く出会いました。
認知症専門の施設にいた時もありましたが、認知症であろうとなかろうと、その人の人柄に触れたときに、なんと表現したらいいのかわかりませんが、その人の心の中にある、以前からずっと持っているものを感じることがありました。
肩に触れたり、手を握ったりしたときの暖かいぬくもり、確かにそれは長い年月を生きてきた重みとじんわりと伝わる温かみがありました。
そしてそこには確かに若者にはない、いぶし銀のような時を経てきた人から感じる重みのようなものを感じていました。
社会ももう少し老人に対する扱いがやさしくなって、「年を取るのも悪くないかも」と少しでも思えるような社会になれたらいいな。
そして年を取ることに抵抗が小さくなり、そんな人生の幕引きまでも楽しみに思い巡らせる事ができるのかなと思ったりしています。
映画「ツナグ」も、松坂桃李さん主演のとても心に残る良い映画でしたのでお勧めです。
樹木希林さんの配役とこの言葉が映画の印象を強く残しているような気がします。