共に生きたい

地球に優しい生き方を模索中 日々の気づきを綴ります

論理的思考と感覚的思考~私たち夫婦の場合~

 

自分はかなり感覚的に物事を捉える。

このブログも感覚的に書くことが多いし、その方が自分でも書きやすい。

 

けれど文章によっては論理的に説明した方が良い場合もあって、その時はかなり意識しながら頭を使うので結構疲れます。

 

 

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自分は感覚的な方があっているのだと思う。
脳がそうなっているというべきか。
たぶん女性はそういう人が多いのかなと思う。

 

反対に男性は論理的に物事を捉えるので仕事の場面では活かせる。

けれど、、、

これからの時代は感覚的な女性目線の時代?とも言われているので男性の皆様には、少しこの感覚的な物事のとらえ方に慣れていただきたいなと思ったりしている。

(すべての男性がそうと言う意味ではない)

 

というのは割合は多いと思うけど、私達夫婦は私が感覚的、旦那は論理的な思考の持ち主でこういう場合、話がかみ合わないことが多くて口論に発展してしまうことも多い。

 

結婚したての頃は見方の違いに話が通じず「何故わかってくれないのか?」と随分と悩み、話が無理なら手紙でと思い、心の内を書いて渡してみたりした。

 

今考えるとよくわかるけど、手書きにしたとしても感覚的な思いを書いているだけなので、同じように旦那はわからない。たしか「感傷的だ」というようなことを言われた。

その時点で、私はもう心のシャッターをガラガラと閉じてしまった。(-_-;)

 

そんな心の閉じた状態が何年続いたのか忘れたけれど、家庭を二人で作っていくという視点に立てばこれは良くないことだとわかるし、子供にも良い影響などあるわけがない。

子供は敏感だから取り繕って、子供の前では普通にしていても悲しいかな結構その気配は気づかれているもの。(・o・).....

 

当時は旦那が論理的な思考を持っていて、自分が感覚的な思考を持っているという自覚があまりなかったと思う。

思いを伝えても、具体的なことやその経緯まで伝えないとわからないらしい、という事実に気づいたのはあとになってから。

 

例えば、私の気持ち一つ伝えるにしても、何故そういう思いに至ったのかという理由や、それでこういう気持ちになったから、こうしていきたいと思うまでキッチリ伝えないと、突然感情だけ訴えられても脳が拒絶してしまうらしい。

あぁ、なんてまどろっこしいのだ、と思ってしまうけどね、、、

感覚でわかるでしょう、、、と (-_-;)そう、わからないのデス

 

こうやって20年以上一緒にいられたのは、年月をかけてお互いに少しづつ歩み寄ったのだと思う。

そうでないと、お互い意思が通じ合わない宇宙人同士で同じ屋根の下は本当に辛い。

それだけで人生の何分の一かを無駄にする。

 

「楽しまなきゃ」

私が結婚するときに浮かんだ言葉に何度も助けられた。

誰かのお告げのように「楽しんで」という言葉が降ってわいてきたことがあったのです。(決して無理して結婚したわけではないですが、、、)

 

 

どんなことが起きても、そうだ楽しんじゃおう、

何まじめくさっているの?

深刻にならないで楽しんで、、、という風に思えた。

感覚のずれもこのように楽しんでしまえと思える余裕があるのなら、越えていけるのかもしれない。

 

「 楽しんじゃえ」も結構感覚的な言葉で、もっと具体的にどうしたらいいのか教えてほしいと言われても、私は感覚的な人間なので無理です。(笑)

 

 

私が論理的に伝えるように努力して、旦那が私の感覚的表現を自分なりにこういうことかなと感じる努力をしてくれたと思う。

お互いにこの感覚(言い方)では、伝わらないんだと知ることが最初で

その後にどういう伝え方ならわかってもらえるかの実験をするのが良いと思う。

 

 

一番大切な、「お互い本当は理解しあいたい」

ということが根底にあるということを忘れないでいられたらいいかな。