「善い」「悪い」が混沌とする世界
情報があふれかえっています。
これで一番に思い出すのは、コロナウィルスの様々な情報が飛び交ったこと。
世の中の情報というものの混沌とした部分
信憑性に対する価値判断があいまいなことが
かえってそれぞれの人の心に残った。
情報とは、一体私達に何をもたらす為にあるのだろう。
そんな疑問がわいてくる。
わたしはふだんからニュースを目にしていないので
特に芸能のニュースは見ないので
こんな後になって知ることは多い…。
何が言いたいか、わかる人にはわかると思いますが…
昨日初めて知ったそのニュースに愕然とした。
信じていたのに…。
考え方に感銘を受け、その思いにリスペクトしていました。
誰でも、心に闇を抱えていない人はいない。
それが人生の中で思いがけず影を落とすこともある。
こうしたいと心から願ったことでも、運命のいたずらか
思う通りにはことが運ばない現実もある。
一時は賞賛されたその行いが
自分の足りない心を埋めるものだったと
人々に論じられることも
それも確かにあったのかもしれないけれど
それだけという見方にも無理がある。
純粋に深い部分から発する思いもあったとみる方が自然に思う。
そんなこともあり
情報を知る、判断するということに大きな不安を感じている。
このことによって私の中で、今までにもあった情報としての良い悪いという判断基準が一層不明瞭になった。
根拠は調べられるものを調べたとしても、その根拠がはたしてどのような視点から見たものかにも結果が影響される。
良いと思ったものは、いつか悪いに変わる時があり、
悪いと判定したものの中には、
実は良いものだったと証明されて反転する。ということが起きる。
今後の世の中はもしかしたら良い、悪いで判断できることが
少なくなってくるのではないかと思う。
どちらでもない。
どちらともいえる。
それが正しい見方として認知されるようになるのでは。
そんな目で見ないと世界はなりたっていかないような気もする。
良いも悪いもないのだという世界。
表裏一体の世界。
判断もなくなり、すべてはただ在るという見方。
情報、出来事、人の思いとはそういうもの
絶対の善も
絶対の悪も
ないのだということを感じる。
それは心の痛みと共に。