悲しみの共有
皆さんは、人から愚痴を聞かされた時どう思いますか?
右から左に受け流せるタイプなら
人生であまり困ることもなかったかもしれないですね。
私はくそまじめなところがあるので
ついつい本気聞きしてしまい(^^;
愚痴にも「うんうん」とうなずき
共感しないといけないような気がしてしまいます。
なので愚痴を聞いたときはすごく具合が悪くなってしまうのです。
この愚痴聞き役は
実家の母と義理の母と二人から常にありました。
でも最近はさすがに
自分自身を大切にすることを学んだので
自分に我慢させるような聞き方はしなくなりました。
受け流してもいいのだという許可が自分の中にできて
自分を大事にすることを学びました(*^^)v。
それでも、この二人はお構いなしに
今でも愚痴を私に聞いて欲しくて
話してくるときがあります。
そんな中
最近気づいたのは、
この二人からうける同じ愚痴でも
私自身が受け方が違うなーということに
最近気づきました。
同じ愚痴でも実家の母の愚痴は「うんうん」と
右から左に流しつつも
「そうかそうか」とうなづいてあげることができます。
でも義理母の愚痴はどうしても心が受け付けません。
なぜか怒りが湧いてきてしまいます。
「私をゴミ箱のように扱ってるの?」
「ポイポイとゴミを捨てるように、愚痴を私に吐き出さないで」と
どうしても思ってしまう。
この差は何なのだろう?と思っていました。
義理の母がとても性格が悪いというわけでも
仲が悪いというわけでもありません。
義理母はもともと天真爛漫な人で
愚痴がなければ人が寄ってくるタイプなのに
もったいないなーと思ったりもします。
なので、どうして同じ愚痴なのに
私の受け取り方が違うのか??でした。
しいて言えば、
「育ててもらった恩」を実の母には感じているからかな~と。
でもよくよく、自分の気持ちを掘り下げてみたら
自分の母が、どうしても愚痴を言ってしまう
その「背景」というのを私は理解しているからかもしれない…
戦後のいたたまれない悲惨な記憶、
複雑な生い立ちの境遇
そんな、愚痴体質になる土台を
私は知っています。
だから共感してあげたいし
理解してあげたいなーと思うのです。
義理母の場合は、そのような背景はよくわかりません。
たしか親からとても大事に育てられたといっていました。
「だから甘え上手なの?」
「私にまで甘えないで!」なんて
心の深いところで拒否してしまっているのかも…
要するに、何が言いたいかというと…
人と人はけっこう悲しみを共有すると
つながれるのではないかな…と思ったのです。
その悲しみの共有ができていない義理母には
繋がれていないから、正直な話
なぜあなたの愚痴を私が受け止めないといけないの?という感じ。
(すみません、正直な気持ちで…(;'∀'))
これは、私と母たちに関することだけではなくて
社会のいろんなところに言えてるのではないかなーと思う。
相手の痛みを感じた時
自分が被害者だと感じていても
相手を許そう、受け入れよう、理解しよう…そんな気になってくる。
案外、世界にこの「悲しみの共有」がなされたら
対立はもっと少なくなるような気がする。
相手がなぜそのようなことをしてしまうのか?
背景にある「痛み」の部分に目を向けるとき
無理にではなく
寄り添いの気持ちが起きて
すんなりと、自然に相手を受け入れられるのかもね…
そんなことを思ったりします。(^-^)