共に生きたい

地球に優しい生き方を模索中 日々の気づきを綴ります

強情な人

強情な人はたまに見かける。

強情な人は本当は愛がほしくてたまらない人。

愛がほしかったのに、それを獲得できないまま大人になって

そしてあきらめてきた人。

 

持ってるエネルギーが大きい人は、ただあきらめるができなくて

そのエネルギーを怒りや、かたくなになったり

心を閉じてますよのアピールのほうに使う。

 

私は、自分がそうだからよくわかる。

人から優しくされるのが嬉しいのに

でももう単純に「うれしい」とは悔しくて言えなくなってしまっているのだ。

 

そんなこじらせてしまった人、いるよね。

たまに見かける。

まぁ、そのうちの一人が私だけどね。

 

 

私は認知症の施設で働いていたこともあったので

その中にもかたくなに心を閉じて強情な人もいたし

 

子供が非行にはしったり、暴力的になるのも

結局は自分の欲しかった愛情をもらえないで

それがこじれにこじれてしまったのだ。

 

どちらも目の前にそういう人がいるという体験をしている。

一つは書いたように働いている施設で。

もう一つのほうは自分の子供がまさに暴れまくっていた。

 

二つとも苦しい体験だったけれど

嫌いじゃない。

 

命の叫びがわかる。

「私を愛してよ!」

「どうしてこのままの私を愛していると言ってくれないの!」

そう叫んでいる。

 

それは、そのまま自分の心の叫びでもあった。

代弁してくれていたんだな。

 

だからその人と真剣に向き合う。

私しかこの人の気持ちはわからない、そう覚悟をもって真剣に

そして自分のその時持っている愛を総動員してのぞむ。

 

強情になってしまった人が欲しいのは

もはや優しさでも愛でもない。

 

ひねくれてしまった自分の心をどうかもとに戻してくれ!

あなたの愛をうれしいです。といえる自分に戻してくれ!

そう悲しみながら怒っているのです。

 

殴られてもいいから、その人の懐に飛び込めるだろうか?

それがないともはや溶かすことができない。

 

そこまで深い理解と受容がないと

その人の塗り固められてきた

心を溶かしてあげることは難しい。

 

できれば、そうなる前の段階で自分が悲しんでいること、

「こうしたいのに、こうならない」という

葛藤を抱えていることを自分自身が自覚することが大切になる。

 

でも日々忙しくしていれば

自分の心は二の次になってしまうよね。

でも、一番大切なんだけどな…。

 

強情になって、完全に心が閉じて

自分が自分のことをあきらめる前に

もっと出してもいいんだよ~

もっと自分の気持ち出していこうね、お互いに!(^-^)