共に生きたい

地球に優しい生き方を模索中 日々の気づきを綴ります

食べなくては生きていけない私達に、今何が出来るのか

ヴィーガンじゃなくても知ってほしい事

私達人間が食べなくては生きていけないこと
例え植物であったとしても
その命を切り取り生かしてもらっているのは事実です


私は肉として動物を食べる事は絶対的な反対はないです
食肉反対の方からしたら、中途半端で、偽善と思われるでしょうが
どちらかと言うとその飼育の在り方に、人間としての慈愛が全くない
他者に対する思いやり、想像力のなさに強い悲しみを覚えるのです

だけど、日本ではほとんどないと言われていますが
数%の人達だけ、動物に尊厳を持って接し
愛を持って飼われている食用の牛、豚、鶏、乳牛、鶏卵の農家の方達も
いることは事実です


たぶん通常の飼い方をすれは、しなくて済むような苦労を
たくさんしている事かと思います
それでも、信念を持って経営をされている方々に
あたまが下がりますし、
強者が弱者を利用するのではなく
共に生きようとする
又はその命に対する尊厳を出来る限り果たそうとする
そう言う方達を尊敬しています


大切に扱わられても、最後には食べる為に殺すなら同じじゃないか!
ノンノン、全然違います
それは今の、工業畜産の異常な在り方を知らないから言えるのです
殺される頃には、動物達の精神は過酷な飼育で
とっくに壊れてしまっているほどの長い地獄を
送ってきているのです
太陽の日にあたる事も、一掴みの安心出来る藁を
得る事さえもできない生涯

私達人間はたくさんの物を欲しがり
たくさんの物を所有できます
家畜動物達はそこで安心して眠る事の出来る一掴みの藁さえも
一生のうち、一回も所有することができないのです
何一つ持たずに死んで行くのです

それを与えてくれる農家の人がいる
それだけで動物達はどれほど幸せでいる事が出来るでしょうか?
それはそんなに難しい事なのでしょうか?

人が無関心から関心を持ち、より多くの声で
このやり方を少しずつ変えて行く事ができるなら
動物達の例え最後には食べられる運命だとしても
酷い光のない絶望の生涯から救われるのです

大きくこの地球の意識の在り方を変えて行く事は
何十年も何百年とかかると思われるので、
せめて、せめてこのような所から変えていきたい

犬や猫にはたくさんのサポーターが現れてくれていますが
可哀想な畜産動物達にはあまり、関心が向きません
取り残されてしまっています
犬や猫のように個性を持ち、可愛がれば
人間になつく可愛い生き物です


肉が食べられなくなるのはイヤだ!と思っている人も
畜産動物の飼い方向上には賛成してくれる人も
いると思うのです

そして肉を食べる人の健康の為にも
このような過酷な飼い方による弊害で薬漬けにされた肉を
食べるよりはるかに健康的です

その為に出来る事を一人がわずかずつでいいので実行して
欲しいです

関心を向ける事や
署名に賛同する事や
肉を食べる日を半分に減らす事や
牛乳から豆乳に変える事や
スーパーで売っている卵ではなく平飼いの卵を購入すること
出来る事から初めて頂ければありがたいです

本来は個人の選択の自由なので、強制するべきものではありません
でも、愛でこの共に住む地球を良くしていく為に
一考して頂ければ幸いです