共に生きたい

地球に優しい生き方を模索中 日々の気づきを綴ります

散歩しながら考えたこと

 

  一週間ほどいろいろあって更新をお休みしていました。

 

昨日の祝日は穏やかに晴れて暖かかったですね。

うちのすぐそばに土手があり、ランニングする方やサイクリングや私のように散歩する人など多くいました。

土手のすぐ端には草花が咲いていて、葉が風に揺れ光り輝いているようでした~

 

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そんなのんびりとした土手を歩いていてふと感じたこと

「世のお父さんたちはこの休みの日々で何を感じるのだろう?」ということです。

 

この騒動で会社に行くことが無くなった方たちは

今まで感じなかった解放感を味わっているのかな?

仕事が気になって仕方なく、早く戻りたいと思うのかな?

それとも思わず顔がほころんでしまうような喜びを感じてしまったりするのかな?

自分の本心に気づいてしまった人はもう、元の生活に戻れない人も出てくるのかな?

なんて??を思いながら歩きました。

 

 

なぜこんなことを思うかというと

私も以前仕事をしているときに、好きで始めた仕事なのにいつの間にか

自分がしたいこととか、家族を犠牲にしていることがあって

それに何となく気づきながら蓋をし続けてきたのです。

 

 

当時高校生の子供が突然と不登校になったことで仕事をやめることになり

そこで初めて自分がもっと家族に尽くしたかったのに我慢していたことや、自分の気持ちを優先できずにふたをし続けたことに気が付きました

子供はもしかしたらSOSを出していたのかもしれないけど、私は全くそんな様子を感じることができなかった。

子供はその後精神のバランスを崩し相当なストレスを抱えていたはずなのに、それが見えていなかったのはかなりショックでした。

 

まさに子供が不登校にならなければ、

無理にでも仕事から離れる出来事がなければ、

どこまで蓋をして逃げていたのかわかりません……。

 

 

私は以前からも思っていたのです。

あんなに携帯は新しい機種をどんどん出す必要があるのかなとか

その裏で働く人たちはそのことによってどれだけ家庭を犠牲にしたり、自分の健康を損ねたりしているのかなと思っていました。

 

携帯だけじゃないですよね

世の中すべてにおいて新しい物、新しい技術、早く届けること、ちょっと無理をしてでも消費にこたえようとしているから、その裏でその犠牲になる人たちはいないのかなぁとか、

その家族はお父さんからの援助なしでやっていけるのかなぁとか思うのです。

 

そして今回のことで会社中心で来た人たちも、いろいろ自分の内面を見つめるようになったら……

私がそうだったように気が付いてしまうんじゃないですかね

自分の本当にしたいこと。

 

そんなこと思ったりして今日は歩いていました。

どうなんですかね?そこのところ……