共に生きたい

地球に優しい生き方を模索中 日々の気づきを綴ります

感情という不思議なもの

 

一、二年ぐらい前だったと思います。

悩みが日々深くなりつつあり毎日暗く出口がない……。

 

その時私は考えました。

人間に悩むというこんな非効率なことを埋め込んだ理由はなんだ?

感情がなかったらもっと楽に生きられるのに。

その悩み自体ではなく、哲学的なもっと根源的なものに対する恨みというか怒りがわいてきた。

 

ここがおかしいところで、普通悩みに対して悩むのだけれど

私は悩みというものを人間にもともと備えたものに対する怒りになるという……。

 

悩みがなかったら悲しいと感じないで済んだら、どんな社会を人間は作るんだ?

経済だってもっと滞りなく発展するような気もするし、魂だって傷つかないでいられるし

なんでこんな仕組みなんだ?

 

 

自分のその状態のあまりの非効率さに、神様なのか何なのか

「人間に感情を作った目的は何なんだーーー!!」

と心の叫びがあったのですが

もともとはスピ系が好きなので

「いろんな経験をしに地球に来た」といわれていることを

全面的に信じているわけなのですが

もう苦しいときは、そんなこと頭からすっぽ抜けてるし

もし思い出していたとしても、だからなに💢という残念な自分になってしまい……。

 

けれども情けの神様なのか、自分の魂なのかわからないけど答えてくれました。

それは借りていたビデオで……。

 

前に借りてきたビデオ五本のうち既にみたのが四本

最後に残っていたものを内容もよくわからずに見始めたのが

「脳男」という生田斗真主演の映画

 

まさにこの男が私が理想としていた生まれつきすべての感情がない男

すごい!

これだ、この人どう生きるんだ?

と食い入るように見始めた。

 

細かいあらすじは忘れたけど(かなりショッキングな場面あり)

私がそれを見て感じたのは

感情がない人のつまらなさ、

生きる意味のなさ

人間と感じられない同じ種と思えない仲間と思えない独特の感じ

 

そして感情というのは体の痛みもそこに分類されているのか

私は知らなかったけれど

痛みを感じないから戦いから瀕死の重傷になっても起き上がってまた命令を遂行しようとする

足が骨折していても全身がボロボロになっても歩けるんだなと思った。

 

間違っているかもしれないけど

人間は痛みを感じるから骨折すると動けないけど

もしかしたら痛くなければ

全身が傷だらけでも体が動くのかもなんて思った

 

話がずれましたが

ここで言いたいのは感情がないを映像で疑似体験して

腑に落ちた

 

感情がないと人間じゃない

感情がないと生きていることが何のためのものかわからない

人間らしさを最も表現できるもの

 

そういったことが概念ではなくふっと心の中に落ち

納得できました

 

悩み自体はまだそこにあるのだけれど

客観的にもう少し高い場所から悩みを見ることができて

ただ起こっている出来事でしかなくて

それにうれしいうれしくないの価値を勝手に置いている自分が見えた

 

感情の感じる部分はその人の価値判断にとても影響されるようで

出来事ととらえることもできるし

与えられた感情を駆使して

それを何倍にも感じることも可能だ

要は自分がどうしたいか選んでその出来事を見ればいいということ

 

かと言って人間すぐに悟った人のようにはれないのが現実で悩ましいのだけれど

この気づきがあってから、なんとなくのほほんとしている自分が多くなったことに気づく

悩みが減った、出来事は減っていないけど。

 

映画自体はう~んて感じだったけど。

「脳男」私にとっては時が時なだけにインパクト大でした。

 

こんなにネットやテクノロジーが発達した社会になっても

感情をコントロールするのは、まだ自分次第なんですね。

 

 

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