本📖『新しい道徳』北野武著 を読んで
北野武さんにどのような印象をもっていますか?
私は「たけちゃんマン」と言われた80年代頃の(知ってるかな?)
漫才ブームの印象が強くて
あの相方をどつくような、暴力的なお笑いが好きでなく
はっきり言って、当時はあまり好きでありませんでした。
今回なぜか縁あってこの本を読んでみたら、印象が変わり
北野武さんの社会矛盾に対する痛烈な見方、潔さ、心の深さなど知り
一気にファンになりました。
たけしさんの伝え方はご存じのように
毒舌で、茶化して、ひねくれて伝えることを
スタイルとしてますので、見ようによってはとんでもない伝え方です。
普通に語れば、すごく為になることをたくさん言っているのに
自分が正しいことを伝えるのはおこがましいと思っているかの如く
素直には伝えない。
「人からどう見えるか?」は問題ではないようです。
自分軸があるからこそあんなに嫌な言い方をして平気でいられる。
思っていることを
正しいとか正しくないで判断しているのではなく
当然自分が信じることを語る権利があるという思い。
それでも人のハートに伝わる稀有な才能、魅力を持った人だと思います。
この本は北野武さんが
道徳について思うことが書いてあるのですが、少しばかり抜粋。
数字にツッコむのはむずかしい。
『1+1=2』先生が黒板に書いたら、はいそうですかと黙ってうなずくほかはない。
なにしろ、反論する余地がない。
プロフェッショナルの芸人といえども、ツッコミを入れるのは至難の業だ。
道徳は数学の対極にある。ツッコミどころが満載だ。
小学校や中学校で使っている道徳の教材をぱらぱらとめくっただけで、あっちにもこっちにもツッコミを入れたくなる。
小学一、二年生の道徳の教材
「じぶんをみつめて」なんて書いてある。
小学一年生が自分を見つめるわけないだろう。
他人だって見つめないのに。
自分を見つめて、「自分はこういう人間です」なんて小学生が言い出したら、これはどう考えたって不自然だ。
子供時代に必要なのは、自分を見つめるなんてことより、自分の好き勝手に遊ぶことだ。
(中略)
子供を囚人か何かと勘違いしているんじゃないか。
罪を犯した人間に、自分を見つめろというなら話はわかる。
白い画用紙みたいな、人生がこれから始まるっていう子供に、自分を見つめろだなんて、どういう人間がそういうことを思いつくんだろう。
自分を見つめなきゃいけないのはお前のほうだといってやりたい。
言い当てていると思う。
誰も指摘できないところを鋭く突いてくる。
スマホを片手に歩いている女子高生は目の敵にされるのか
子供に喧嘩をしちゃいけないと教えるなら
大人だっていかなる理由があろうと戦争をしちゃいけない
最後のほうで、 もし子供たちに道徳をどうしても教えたいならこれだけ、と言っている。
人間は一人ひとりみんな違う。
自分とは違う人間で世界は成り立っている。
ただ、一つだけ誰にでも当てはまることは、みんな幸せになりたいと思っていることだけだ。
『本当の意味で、傷つきたいと思っている人は一人もいない。だから、自分が傷つきたくないなら、ほかの人を傷つけるのはやめよう。』
教室の子供たちに教えていい道徳はこれぐらいじゃないか。
私はたけしさんのような人に
この国の主要なトップの一人になってもらったら
どんなことになるんだろう?なんて思う。
建前も忖度もできない政治になって
どんな日本になるんだろう?なんて考えたりして。
すごく混乱してかき混ぜて、収拾がつかなくなるか
はたまた、目覚める人が続出するか?
私にとって、夢のある空想をしたくなる人でした。