共に生きたい

地球に優しい生き方を模索中 日々の気づきを綴ります

セミの儚い命に想う

 

8月8日

セミが大合唱する季節が今年もやってきました。

やっと夏を感じられてうれしくなります。

 

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セミが鳴く声を聴いて思い出したことがあります。

 

去年の確か10月も終わりの頃

公園を通りがかった時に、何を勘違いしたのか一匹のセミが突然鳴き始めたのです。

公園の門のような加工された木材にとまっていて、

突然と鳴き始めたので見上げたらセミでした。

 

とてもびっくりして、「えっー!」と声を上げてしまったと思います。

たまたま通りかかった2歳ぐらいの子供を連れたお母さんも近くにいて、びっくりして見上げていました。

もうあと何日かで11月になろうとしていた頃だったと記憶しています。

この時期のセミがあまりに意外で、そのお母さんと顔を見合わせました。

「こんな時期にセミが鳴くんですね……」

などと会話してしばらく様子を見ていました。

少し弱々しい鳴き声です。

 

 

セミの本能が狂ってしまい、

こんな的外れな時期に、幼虫からかえってしまったのか?

 

このセミはどれだけ鳴いても、一匹の仲間も見つからず、

お相手も現れずに、子孫を残せないことを気づいているのかな?

 

セミが悲しそうで、とても気の毒に思えて、

公園を離れても、しばらくはセミのことが頭から離れませんでした。

 

 

セミに感情があるとは思いにくいから、

「いくら鳴いても仲間の声が聞こえないな」と

本能のまま鳴きながら、だんだん力が無くなって

命が消えていくのをただただ、そのまま受け止めていくだけなんだろうと思います。

 

 

本能で生きるものにとっては、

ただの自然のサイクルの中のひとつであって、

悲しいとか辛いとかきっとそんなことはないのだろうと思います。

 

同時に、人間はその本能だけではない、それ以上の感情というものがあり、

そのうえ特有の想像力をもつの生きものだと。

こんな小さな生き物のことまで憂う心が、

自然と備わっているのだなぁと思います。

 

実際のセミは7年も地中のふかふかな土にいて

昆虫の中でも決して短い命ではないですが、

 

人間は短い夏と儚い命のセミを思う心が与えられているのだと。

 

 

 

人間は地球の生き物の中で一番上に見えますが

ほかの生き物とは違う、思いやる気持ちや、想像の力を神様から与えられた存在だからかもしれないと思う。

今年のセミの元気な鳴き声を聞きながらそんなことを感じたりした。

 

 

もしも人間が、他の命を思いやることができなくなったら、

この地球の生き物を誰が守るのか。

そんな頂点に立つ責任をもって、存在している気がします。