忘れたくないこと
この時期になって自分が知覧茶を飲んでいないことに気づきました。
お茶を買うなら知覧茶にしようとひそかに決めていたんです。
何故そう決めたかというと、三年前に鹿児島を訪れたときに知覧という場所にある、知覧特攻平和会館に行ってからなのです。
そこは第二次世界大戦中に特攻隊が飛び立った基地として有名です。
19歳から24,5歳の400人以上の若者が、片道の燃料しかない飛行機に乗りその場所から飛び立ちました。
その写真とともに収めてあるのが突撃の前の日に書いた遺書です。
海から引き揚げられた壊れた飛行機も展示されていました。
そこで見た数々の遺書を前に、私がこれを忘れないために何ができるのか?
そう考えたときに、知覧という場所はお茶どころで有名なので、
「これからは、知覧茶を買おう。」
そう決めたのです。
それは知覧というこの地に少しでも貢献したい思いと、ただ単純に、このことを忘れないでいたいと思ったからです。
でももうすぐ終戦記念日というこの時になって「飲んでない……。」ということに気が付いたのです。
三年前に行ってから一年ぐらいは続けて買っていたのに、次第にほかの多くの商品が目に映るようにもなり、だんだんと忘れるようになったのです。
今は全く忘れていました。
決めたのに忘れていたということが言いたいのではなくて、
人間はこのように衝撃を受けたことも、時とともに風化して忘れていくんだなということを感じたので書いています。
戦後75年も経っているので戦争体験者も数少なくなってきているようです。
世界のニュースを見ても、広島と長崎のその日を取り上げたニュースが見当たらないと、嘆いていた人もいました。
痛ましいことを忘れていくということは、脳の機能から考えて必要なことかと思います。
でも、やはり終戦日に近くなると、この歴史があったことを思い出して、今の平和が当たり前ではないということを考える日が、一年に一回ぐらいは必要ではないかなと思ったりします。
私もお茶のことは忘れていたので、偉そうなことは言えません。
特攻という行為を戦時中は讃えられたのに、戦後はまるで違う扱いをうけたと知りました。
政治的なからみもよくわかりません。
私が感じたことは、多くの人が感じる哀しみと同じで、決して特殊な何かではなく、多くの人に共通するものだと思います。
今年も終戦記念日が近づきました。
昨年にも増して、今年はいろいろな意味で考える機会となりそうです。