抽象度を上げてみた
抽象度という言葉を前に目にしたことがあったのですが
(たしか苫米地英人さんの本)
なんのこっちゃ?とその時は思っていました。
最近になってこの言葉がとても大切なような気がしてます。
この抽象度というのは、
要は物事をもっと高い視点、広い視点から見ることで、
具体性には欠けてくるけど、たくさんの情報が得られその本質をつかみやすいということです。
物事を俯瞰してみる、と同じように使われたりします。
一つの物や出来事に対して
視点を低いものから高い視点に変えていくのを抽象度を上げると言い
例えば、山のふもとからある地点を見ると、目の前にあることしか情報がありません。
でも山を登って行き、そこから下を見ると広範囲の情報を理解することができます。
抽象度を上げるとどうなるのか
それはずばり見える世界がぜんぜん変わります。
高い地点から眺めるほど物事の全容が見えてくるからです。
問題が出てきても物事の本質が見えてくるので、対処の仕方が目先のことにとらわれていた時とは変わってきます。
普段何気なく判断していることもこの抽象度をあげた見方をすることで一変してくるかもしれません。
そしてこれからの時代はそんな見方を自分にも外側の世界にも向けていくことが鍵になってくるような気がしています。
現在の地点を抽象度を上げて見てみる
苫米地さんが言っていることと少し違う視点になるかもしれないけど
私がいま持っている、現在のコロナ禍の問題や環境問題の不安に対して
抽象度を上げてみれば……
このような見方もできるかも知れません。
今現在の世界の在り方やTVから流れる情報は、聞けば聞くほど何故か力を奪われて悲観的になってしまうことが多いです。
抽象度を上げて見てみると、悠久の長ーい歴史まで見える地点に立つと、この世界は確実に、いやものすごく良くなってきているのがわかるのです。
人類史をみると争いであったり、差別の歴史であったりするわけですが、短いスパンに区切ると人間はなんて愚かなんだろうと落胆してしまう。
でも長ーい歴史をたどると、人間の良心や本質が変化を遂げているのが感じられます。
暗い歴史の中には必ずあきらめないで立ち向かう人々がいて、そしてそれを支持する人もいて少しずつ変化している。
そんな力があることを感じられます。
ウィルスにしても
今まで何度も世界は病原菌にさらされてきたけれど、科学のチカラや努力を惜しまない人たちによってその危機を越えてきたのだと思います。
人間にはそのような力がもともと備わっているということを素直に信じられました。
この世界は少しづつ良くなってきている
目にする情報が心を暗くさせていただけで
現実は確実に良い方向に向かっているんだな
抽象度を上げて高い視点に立てば安心することができました。😊
なのでどんな情報を目にしようと
心の根底にはこの世界は大丈夫と
安心していることも大事なんだなと思ったりもします。
もちろん変えていく努力をしたうえで
それさえも恐れからするのではなくて
楽しみでするのに変わりそうですが
こんなふうにして
自分の視点をちょっと変えてみることによって
世界はいかようにも変わるのではと思っています。
同じように、自分の身の回りでおこる様々な問題も
今見ている所からもう少し上から見るだけで
また違う景色が見れるのかもしれないですね。